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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)5170号 判決 1976年5月31日

原告 小林成子

原告 服部作次

右原告両名訴訟代理人弁護士 秋知和憲

右原告小林成子訴訟代理人弁護士 松岡廣介

被告 国

右代表者法務大臣 稲葉修

右指定代理人検事 押切瞳

右指定代理人法務事務官 小板信行

<ほか四名>

被告 帝都高速度交通営団

右代表者総裁 荒木茂久二

右訴訟代理人弁護士 滝川三郎

同 鵜沢勝義

同 鵜沢秀行

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告らは各自原告小林成子に対し金一、九四三万七、七九〇円、原告服部作次に対し金一、七四三万七、七九〇円及びこれらに対する昭和四八年七月二一日から支払済に至るまで年五分の金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  被告ら

1  主文と同旨。

2  (被告国)担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二当事者の主張

一  請求原因

(一)  小林作秀(以下、作秀という)は昭和四五年一二月一三日午前零時一〇分ころ東京都渋谷区神宮前五丁目五〇番六号に於て、国道二四六号(通称青山通り)の歩道に設けられた地下鉄通風口(以下、本件通風口という)の開口部より、四・七メートル下の地下鉄軌道上に転落して頭蓋骨々折等の傷害を受け、右傷害により同日午前六時二三分ころ同区青山南町六丁目七番五号野口外科医院に於て死亡した(以下、本件事故という)。

(二)  右通風口は被告国及び被告帝都高速度交通営団(以下、被告営団という)が共同して管理しているものであるが、本件事故は右通風口の開口部に設置された覆板に次のような瑕疵があったことにより発生したものである。

すなわち、右通風口の開口部は縦九〇センチメートル、横九三センチメートルであり、その上をはめ込式の二枚の鉄格子製覆板(それぞれ縦四五センチメートル、横九三センチメートル、重量約三〇キログラム)によって覆われていたが、右二枚の覆板は相互に針金で二箇所を結びつけられていたのみで、他に何らこれを固定する設備がなく、しかも車道側の覆板(以下、本件覆板という)上には、車道にそって設置された防禦柵(ガードフェンス)の終りの支柱がボルトで接着されていたので、この支柱をゆさぶることにより、二枚の覆板を結び付けた針金が切れて簡単に覆板が動き、通風口が歩道上に大きく口を開くという欠陥があった(因みに、右通風口及びその付近の通風口の覆板は事故後セメントと止め金で固定され、右危険は除去された)。しかも青山通りは東京都内でも有数の交通量の多い幹線道路であり、ことに右通風口付近は渋谷駅に至近距離にある盛り場で、人の往来の多いところであるから、右のような構造の覆板を放置すれば、これが動かされて歩行者が転落する危険が生ずることは容易に予測しうるところであった。しかるに被告らは、右覆板を固定するなど、右危険を防止するための適切な措置をとらなかったのであるから、被告らの右覆板の管理には瑕疵があったものというべきである。

従って、被告国並びに国家賠償法にいう公共団体である被告営団は、同法二条に基づき、作秀及び原告らが本件事故によって被った後記損害を賠償すべき責任がある。

≪以下事実省略≫

理由

一  まず本件事故発生の経緯について判断する。

当事者間に争いのない請求原因(一)の事実に、≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1  作秀は昭和四五年当時青山学院大学法学部二年に在学していたが、同年一二月一二日午後六時三〇分ころ同大学の現代詩研究会に所属する和田博、中原秀樹、大竹彰、岡島美徳、佐藤賢一郎、千葉茂ほか女子学生数名とともに、渋谷駅付近のスタンドバー「バッカス」に赴き、各自ジンライム等を二ないし五杯くらい飲み、午後八時三〇分ころ同店を出た。ここで同行していた女子学生が帰宅したので、作秀ら七名はさらに近くの居酒屋「三平」に入り、各自日本酒を徳利二、三本くらい飲み、午後一一時過ぎに同店を出た。

2  その後作秀は他の六名に対し、自分の家(東京都中央区日本橋所在)に来るように誘い、全員で渋谷駅前交差点付近に出てタクシーを拾おうとしたが、容易に拾うことができなかった。そのうちに誰からともなく、同大学構内の学生会館(東京都渋谷区上通一丁目所在)に行こうということになり、右七名は国道二四六号ぞいに一〇分余り歩いて午後一一時三〇分ころ学生会館に到着した。しかし、そこで再び作秀の家に行くことに話がまとまり、作秀は、午後一二時ころ近所の酒屋が閉まることから、午後一一時五五分ころ自宅に電話をかけ、酒類を用意しておいてくれるよう頼み、その後他の六名とともに大学の正門より国道二四六号に出て、別紙現場見取図点線表示のとおり右国道を横断し、ある者は車道に出て、ある者は歩道内でタクシーを拾おうとしたが、やはり容易に拾えなかった。

3  右七名は本件覆板付近でタクシーを拾おうとして、一〇分間余り留まっていたが、そのうちに作秀が同月一三日午前零時一〇分ころ、別紙平面図点線表示のように本件覆板がはずされて、開いた状態にあった本件通風口開口部(右開口部には覆板をのせるための内のりが四センチメートルあるから、開いた部分は縦四一センチメートル、横八三センチメートルである。)より、四・七メートル下の地下鉄軌道上に頭部を下にして落下して頭蓋骨々折等の傷害を受け、右傷害により同日午前六時二三分ころ野口外科医院において死亡した。

このように認められ(る。)≪証拠判断省略≫

二  つぎに、被告らが本件覆板を含む本件通風口を管理していたことは当事者間に争いがない。そこで、右認定のように本件覆板がはずされたことが、被告らの設置管理の瑕疵によるものであるか否かについて判断する。

(一)  まず本件覆板の構造及びその設置について検討する。

本件覆板の構造及びその固定方法が原告ら主張のとおりであることについては当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1  本件通風口は歩道が車道と接するところに四つあり、その各開口部には巾四センチメートルの内のりのコンクリート枠のうえに覆板が設置されており、特に本件覆板の上にはガードフェンスの支柱が四本のボルトで取付けられているが、これらの状況の詳細は、別紙平面図及び立面図表示のとおりである。

2  本件通風口及び覆板は昭和三九年一月ころ被告営団によって設置されたものであり、本件覆板上に取付けられたガードフェンス支柱は昭和四二年九月被告国によって設置されたものである。

3  被告営団は地下鉄通風口の開口部に覆板を固定する方法として、重量式(覆板の重量自体で固定するもの)と完結式(覆板をボルトで固定するもの)を採用しているが、本件通風口覆板の固定方法は重量式である。すなわち、右覆板の重量は一枚約三〇キログラムであり、これを前記図面表示のとおり二枚並べて開口部に設けられた内のり四センチメートルのコンクリート枠にはめ込み、二箇所を相互に番線で結び、その重量により覆板を固定する仕組となっている。ところで、本件覆板上にはガードフェンスの支柱がボルトで取付けられ、右支柱と三メートル離れた位置にある他の支柱とは鉄製枠とボルトによって連結されているので、ガードフェンスの支柱または鉄製枠をゆさぶって二本の番線を切り、支柱または鉄製枠とともに覆板を持上げ、そのまま移動させることによって、本件覆板をはずすことは可能であるが、そのためには、覆板一枚を持上げる力をはるかに上まわる力を加えることが必要である。

4  本件通風口は国道二四六号の歩道内にあり、地下鉄神宮前駅(但し当時の名称、以下同じ)の南西約一〇〇メートルの地点に位置し、付近には青山学院大学があるほか、商店が立並び、夜遅くまで人通りの多いところであるが、歩行や横断のために、特に右通風口上の覆板ないしその付近を通行する必要はなく、本件事故に至るまで付近の住民や通行人から警察署あるいは被告らに対し、通風口の覆板の固定方法について苦情が持込まれ、あるいは覆板がはずれている旨の通報がなされたことはなかった。

5  なお、被告国がガードフェンス支柱を本件覆板上に設けたのは、ガードフェンス枠の規格品の長さが三メートルであったことと、右覆板付近においてごみ収集用のポリバケツ等を置くため九〇センチ位の巾でフェンスの切れ目を作るよう沿道住民の希望があったことによるものである。

このように認められ、他に右認定を覆すに足りる的確な証拠はない。

そこで考えてみるのに、本件通風口の覆板の設置は重量式の方法により、しかも特に本件覆板上にはガードフェンス支柱が設けられているので、前3のようにして本件覆板が外れ通風口の開口部が露出する可能性があることは否定できない。しかし、右3においてみたように、本件覆板を動かすためにはかなり強い力を要するうえに、右覆板の位置やガードフェンスが設置されている状況からすると、右覆板をことさら動かす必要は殆どないものであり、まして何らかの原因で強い力が加わってこれが外れるような機会が生ずることは、自動車等がぶつかる場合を除いては、酒に酔った者等が思慮を欠くまま、面白半分にガードフェンス支柱をゆさぶっているうち、たまたま番線が切れて右覆板がずれるといったような稀有の場合以外には、通常は考えられないところであるから、右述の可能性は実際には甚だ乏しいものというべきである(なお、≪証拠省略≫中には、本件通風口付近の住民が小学生でも四、五人で支柱をゆさぶれば覆板が外れるといっていた旨の記載があるが、右は十分な裏付があるものとは認められないから、上記判断を左右するものとはいえない。)。このことに、本件通風口は歩道上にはあるけれども平常一般の通行の用に供せられるところではないことを合せ考えると、被告営団が覆板の設置にあたり、動く可能性の全くないわけではない重量式の方法をとり、また、被告国が、本件覆板のうえに前5のような事情でガードフェンス支柱を設けたからといって、またその後重量式を完結式に改めたり、支柱の位置を移動させなかったからといって、それだけで本件覆板の構造ないし設置において欠けるところがあるものということはできない。現に、右4のように本件覆板上にガドーフェンス支柱が取付けられてから本件事故が発生するまで三年余り経過しているにもかかわらず、付近の住民や通行人から警察署あるいは被告らに対し、本件覆板の固定方法等について苦情が持込まれることがなかったことは、付近の住民等も特に右覆板がはずされる危険は感じていなかったことを示すものというべきである。

もっとも、≪証拠省略≫によれば、本件事故後被告国はガードフェンス支柱を覆板から取りはずし、歩道のコンクリート部分に固定し、被告営団は本件通風口の覆板に止め金具を取付けたことが認められるが、これは右各証拠によれば本件事故の結果の重大性に鑑み、警察からの勧告を受入れて、再び同種の事故が起こることのないよう特に厳重な措置をとったものであることが明らかであるから、この事実を以て右の認定判断を左右すべきものとすることはできない。

してみると、結局本件覆板は、ガードフェンス支柱が設けられた後においてもその設置方法及び構造において、通風口の開口部への人の転落や物の落下を防止するというその目的に照らし、それが本来具有すべき安全性において欠けるところはなかったものと一応認められる。

(二)  つぎに、被告らによる本件通風口及び覆板の管理状況について考えてみる。

≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1  被告国は建設省東京国道工事事務所四谷出張所において本件覆板を管理し、毎日午前八時三〇分ころから午後四時五〇分ころまでの間に巡回車二台で各一回宛巡視しているが、本件事故が発生した日の前日である昭和四五年一二月一二日の巡回時には、本件覆板に異常は認められず、また道路工事等のために覆板、ガードフェンス等を動かす旨の届出もなかった。

2  被告営団は渋谷保線区において本件通風口を管理し、三ないし二〇日に一回徒歩で巡回しているが、本件事故に最も接着して実施された昭和四五年一二月三日の巡回では、本件通風口に特段の異常は認められなかった。

3  本件通風口付近は商店が立並び、昼夜とも人通りの多いところであるが、本件事故以前に付近の住民や通行人から警察署あるいは被告らに対し、本件覆板がはずれている旨の通報がなされたことはなく、また本件事故の直後警察官による聞込みがなされたが、事故発生前に右覆板がはずれているのを目撃したとの情報は得られなかった。また昭和四五年一二月一四日の毎日、読売、サンケイ等の各新聞朝刊に本件事故の発生が報ぜられた際、本件覆板が誰によってはずされたか不明であること、作秀と同行していた学生らがこれをはずした疑いもあること等の警察の捜査状況が報ぜられたが、その後も本件事故以前に覆板がはずれているのを目撃した者は現われていない。

このように認められ、他に右認定を覆すに足りる的確な証拠はない。

右3に認定したところに、前(一)に認定判断した本件通風口の位置、覆板及びガードフェンス支柱の構造ならびに本件覆板の動く可能性の程度を合せ考えると、被告らにおいて右通風口ないし覆板について右1、2認定のような方法で管理していたことは相当として是認できるから、被告らは日常の本件通風口及び覆板の管理においても欠けるところはなかったものと一応認められる。

(三)  ところで、本件においては、前一認定のとおりの状況で本件覆板がはずれ、通風口の開口部が露出していたのであるから、いつ、どのようにして本件覆板がはずれるに至ったのかについて更に審究しなければならない。

まず、右(二)、1認定のとおり、建設省東京国道工事事務所四谷出張所の巡回車が本件事故の前日である昭和四五年一二月一二日に通常通り(即ち、午前八時三〇分から午後四時五〇分までの間に)巡回した際、本件覆板に特に異常が認められなかったことからすると、右覆板がはずされたのは右巡回後であると考えられる。そして、右(一)認定の事実によれば、本件覆板を本件事故当時のような状態にするためには、特に用意した工具を使わない限り、数人が力を合わせてガードフェンスの支柱、枠等を強くゆさぶり、さらにこれを持上げて車道側に移動させることが必要であると考えられるところ、既にしばしば認定したとおり、本件通風口付近は商店が立並び、夜遅くまで歩行者や通行する車の多いところであるから、仮りにこのような危険な行為をなす者があれば、それが然るべき目的の下になされるものと認められ、かつ相応の安全措置が講ぜられていない限り、通常付近の住民や通行人ないし車の運転者の目に止まり、警察署あるいは被告らのいずれかに通報がなさるものと考えられるところ、右(二)、3認定のとおり、このような通報は何もなく、警察官による捜査によっても、更に新聞報道があった後においても、事故以前に右覆板がはずれていたことを目撃した者がみつかっていない。してみると、本件覆板は作秀ら七名がその付近に留まっていた一二日午後一一時五五分ころから一三日午前零時一〇分ころまでの間、あるいはこれに近接した人通りの少ない深夜に動かされたものと推認するのが相当である。

ところで≪証拠省略≫中には、本件覆板は作秀ら七名が本件事故現場を通りかかったとき、すでにはずれていたとする部分がある。すなわち、和田は、車道でタクシーを止めていると、「地下鉄の蓋が開いているから直そうぜ」と声がかかったので自分もそこに行き、開いていた覆板をもとに戻すべく、大竹、岡島らとともにガードフェンスの枠を車道から歩道方向に押していたところ、作秀が通風口内に転落した旨供述し、大竹は、和田、岡島、千葉とともに車道を歩いていたとき通風口の蓋が開いているのに気づき、これを直そうとしてガードフェンスを押したが動かないので、そのままにして自分は歩道に上がり、神宮前駅(青山方面)に向って四〇メートルくらい歩いたとき、小林が落ちたという声をきいた旨供述している。しかし、≪証拠省略≫によれば、和田及び大竹は本件事故当日、渋谷警察署において取調をうけ、次のように供述していることが明らかである。すなわち、和田は「(車道を青山方向に)歩きはじめたところ、B点(本件覆板の車道側脇)にいた者が誰か判りませんが『ここのフタが開いているぞ』といったのでその方に行くと、B点にいた者三人位が歩道と車道の間にあるガードレールを動かしていましたが、全然動かなかったのです。その場は少しの灯りがあるだけで薄暗い状態でありました。C点の所(別紙現場見取図表示灘屋前歩道上)にいた一人がB点の方に寄ってきて、私がD点の所(B点よりいくぶん渋谷寄の車道上)まで来た時その人が(略)見えなくなってしまいました。(略)B点にいた者が『小林が穴に落ちてしまったぞ』というのでその場に行くと、地下鉄の通風溝(ママ)のフタが(略)はずれている状態になっておりました。」と供述し、大竹は「岡島、千葉、和田の三人がタクシーで帰ると言って車道で車を停めておりました。私と小林、中原、佐藤の四人は地下鉄の方が早いからと言って、(国道を横断した後)車道から歩道へ上りましてから神宮前駅の方に歩いておりました。(略)三河屋酒店前で岡島君が何か言って皆を呼んでいましたのですが、私は皆より一〇メートル以上も先を歩いておりましたのでよく聞き取れませんでしたが、後ろをふり向き皆の方に少し歩きましたとき、佐藤君と思いますが『小林が通風口え落ちた』と大きな声で言いながら電話をかけに行った様(ママ)でした。」と供述している。和田及び大竹の右各供述と前記各証言を対比してみると明らかなとおり、両名ともその証言中においては、作秀が通風口に転落する前に車道側からガードフェンスを押したと述べているのに、警察官の取調に対して、和田は本件覆板脇に到達する以前に作秀が通風口に転落した旨供述し、大竹は国道を横断した後歩道上を歩いており、本件覆板付近では車道に出ていない旨供述し、いずれもガードフェンスを押したとは述べていないのである。ところで、前記各証言によると、右両名は本件事故現場付近を通りかかって本件覆板がはずれているのを目撃し、危険防止のためこれをもとの位置に戻そうとしてガードフェンスを押したというのであるから、もし、真実そのとおりであったのならば、特段の事情のない限り、右両名が事故当日記憶の新しいうちに、事故当時における各自の積極的行為に関してなされた警察官の取調に際し、この事実を述べない筈はないと思われる。しかるに右両名は右事実を述べていないのであり、しかも前記各証言によってもこれを述べなかったことを首肯するに足りるような合理的な理由は見当らない。してみると、前示各証言部分は、たやすくこれを真実であるとうけとることはできないものというほかない。その他、本件覆板がはずれた時期についての前記認定判断を左右すべき的確な証拠はない。

それでは、本件覆板は右認定の頃一体どのようにしてはずれたのかが次に問題となるが、この点については、当の作秀が死亡していること、本件事故直後警察による捜査がなされたものの必しも十分ではなかったこと(このことは、≪証拠省略≫から明らかである)等のため、今日においてその真相を明らかにすることはもはや不可能にちかいが、本件覆板がはずれる可能性があるのは前(一)に認定したような場合であると考えられることと、本件においては本件覆板付近に自動車等が衝突する等したことを認めるに足りる証拠は何もないことから推すと、右覆板は、前認定の頃数人の者の手によって、ガードフェンス支柱が動かされたためにはずれたものというほかはないであろう。

(四)  ところで、本件通風口の位置形状、付近の状況、通風口上の覆板の設置方法及び本件覆板上のガードフェンス支柱の状態は前(一)にみたとおりであること及びそこで認定判断したとおり、これらはその通常の用法にある限りにおいては、本件のように覆板が外れて通風口の開口部が露出することは、稀有の場合を除いては殆どないと認められることからすると、被告らに対し、本件覆板が右(三)でみたような日時頃に、右にみたようにしてはずされることまでを予測してこれらの設置及び管理に当るべきであるとすることは、難きを強いるものであって、酷に失し当を得ないものというべきである。

そして、本件通風口、覆板及びガードフェンス支柱の構造、設置及び管理にあたり、被告らに責むべき廉のなかったことはすでに前(一)、(二)において認定判断したとおりであり、他にこれを左右すべき的確な証拠はないから、たまたま、本件事故の直前に本件覆板がはずれ、通風口の開口部が露出していたからといって、それだけで被告らの設置管理に瑕疵があったものということはできず、他に、本件通風口等の設置管理について瑕疵があったことを肯認するに足りる証拠は何もない。

(五)  以上のとおり、本件通風口及び覆板の設置管理に瑕疵がある旨の原告らの主張は、結局これを認めることができないものというほかはないから、右主張事実の存在を前提とする原告らの本訴請求は、更に立入って判断するまでもなく理由がない。

三  よって、原告らの請求を棄却し、訴訟費用は敗訴の原告らの負担として、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 川上泉 裁判官 海保寛 園尾隆司)

<以下省略>

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